ときわブログTokiwa Blog
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患者が主体の医療とは
2015年02月16日(月)
江上 芳子
最近、第二回医療小説大賞を受賞した久坂部羊先生の「悪医」を読みました。久坂部先生は、大阪大学医学部卒の医師で、外務省の医務官として海外勤務9年、その後、在宅訪問診療に携わっていらっしゃいます。2003年「廃用身」で作家デビュ―、以後、現代の医療に問題を提起する作品を次々に発表されています。
「悪医」は35歳の外科医Aとその外科医が治療していた早期胃がん患者についての物語です。早期胃がんの手術後11か月に再発、肝臓への転移がみつかった患者B(52歳)は、医師から『残念ですが、もうこれ以上、治療の余地はありません』『もうつらい治療を受けなくてもいいということです。残念ですが、余命はおそらく3か月くらいでしょう。あとは好きなことをして、時間を有意義に使ってください』と告げられ『いったいそれは......、先生は、私に死ねと言うんですか』『もう先生には診てもらいません』と椅子を蹴って診察室を飛び出します。その後患者Bは、大学病院、がん専門医のいる病院、免疫療法の医院等を絶望や苦痛を経験しながら転々とし、その経過の中で看護師との出会いがありました。(治療をやめるなんて、バカなことを言うな。苦しいだろうけど、頑張っていればチャンスはある。過剰な医療がよくないという記事は、新聞で読んだことがあった。だが、それは敗北主義だ。つらい現実から逃げているに過ぎない。)と、この患者Aは思っていました。でも、病状は悪化するばかり...、ついに看護師の紹介でホスピスに入ります
一方、医師は患者の反応に驚き戸惑いました。その後、『骨盤に転移して、胸水もたまったバリバリの末期なのに、先端医療をやっている病院を紹介してくれって言う』乳がん末期の患者I、肝臓がんの術後、肺門部に転移、転移眼は増大し切除した肝臓の残りにも新しくがんが見つかり、『さらに血液検査でも副作用が強くなっているので、前にも少し話しましたが、もうこれ以上の治療は、ちょっと難しいというのが、今の状況です』という説明に、『あの......、わたしは、別に抗がん剤でなくても、放射線とか、免疫の治療でも、かまわないんですが』『お願いです、先生。もう一度チャンスを与えてください。どんな治療でもけっこうです。どんなにつらくても頑張ります。だから、もう一度、なんとか治療をお願いします。』最後まで治療にこだわる58歳の患者C(設計事務所自営)などに対してどう説明すればよいのか悩んでいた。
医師Aは、外科部長からTVのシンポジウム"がん医療―患者と医療者の絆を求めて"の会場参加者として参加を勧められた。シンポジウムは、はじめにパネラーによるディスカッションがあり、あとで会場参加者からの意見を聞く形式だった。パネラーはがん医療センターのセンター長、女性評論家看護師協会の理事、臨床心理専門の大学教授の4人で各自それぞれの立場からがん医療の現状を解説した。医師Aは現場との温度差を感じざるを得なかった。続いてディスカッションに移り、参加者の意見を聞く段階に入り、自分自身のがん治療の体験を語った女性や夫の末期がんを看取った話『お医者さんから、もう治療法はないと言われたのがショックで......』が語られた。医師Aの脳裏にある記憶がよみがえった。「死ねと言われたも同然なんです」と怒って外来から駆けだした胃がんの患者だ。引きつった患者の顔と、自分の戸惑いと反発、不本意な思いがフラッシュバックのように眼前をよこぎった。参加するにあたって発言するつもりはなかったが、自分でも思いがけない気魄で手をあげた。
私は去年、治療法のなくなった胃がんの患者さんに、これ以上、治療の余地はありませんと言いました。治療するより、しない方が余命が延びる可能性が高かったからです。その患者さんは52歳で、まだ元気でした。だから、もしやりたいことがあるなら、今のうちにやっておくほうがいいと思ったのです。わたしはそれまで、多くの末期がんの患者さんが治療の副作用で、貴重な時間を浪費して亡くなっていくのを見てきました。だから、その患者さんには、時間を無駄にしてほしくなかった。元気のあるうちにやりたいことをやって、有意義な時間を過ごしてほしいと心から願ったのです。ところが、その患者さんはこう言いました。治療法がないというのは、私にすれば、死ねと言われたも同然だと......。ショックでした。私は、その患者さんのことがずっと忘れられなくて、どう言えばよかったのかと、今も悩み続けているんです。
(アウンサー:そんなつもりで言ったのではないのに、患者さんにはそう聞こえた。つまり両者の気持ちの溝が問題というわけですね)
気持ちの溝はありますよ。病気になってもいない医師に、どうやって患者さんのほんとうの気持ちがわかるんですか。わかろうと努力はしますが、どこまで理解できるでしょう。悲しみ、恐怖、不安、苦しみ、患者さんの気持ちは一人一人ちがいます。それを正確に理解できるはずがない。なのにわかったような顔をするのは、むしろ欺瞞じゃないですか。医師Aは怒りを秘めた口調で言った52歳の胃がん患者Bは、たまたまホスピスでこの番組を見ていた。会場参加者の中に前の主治医の顔をみつけ、発言をじっと聞いた。(この医者はおれのことを忘れてはいなかった。おれの言葉を覚えていた。あの日のことなど、とっくに忘れて気楽に過ごしていると思っていたが、この医者はずっと悩んでいたのだ。)
しばらくして、医師に手紙とカセットテープが送られてきた。同封のカセットテープには、患者が医師に遺した最後のメッセージが録音されていた。(録音の内容は本を読んでください)
テープの中で、患者Bは『患者を突き放さないでほしい』『希望を断たないで、ほしい』『患者の希望は、病気が治る、ということだけじゃない。医者が見離さないでいてくれることが、励みになる。そしたら、勇気が出るんだ』『もの事には、何でも、ふたつの面がある。医師の側からだけ、見ないでほしい。』『命を縮める治療でも、いい面がある。やるだけやって、力を尽くしたって、思える。』などを伝えていた。
この本を読んで、アッと思いました。この医師Aのように考えることが良いとされ、とことんがんと戦う治療は非難される現状にあるのです。私も、説明の仕方には同意できない部分もありますが、そうだそうだと思いました。勿論、今でも抗がん剤での副作用を考えると、医師Aの考えは納得できます。しかし、これは患者Bがいうように医療者側の論理であり、患者中心、つまり患者主体の医療とはいえない、パターナリズム(父権主義)であるといえます。
ここでもう一つの事例を思い出しました。木村利人著「いのちを考える」の中に出てくるダックス・コワートさんの話です。1973年7月、事故で大火傷を負い、身体の主な機能がほとんど回復不能なことに気づいたとき、ダックスさんが発した言葉は『プリーズ レット ミー ダイ』でした。ダックスさんは、全身がガ―ゼに覆われ、そのガーゼ交換は水槽状のタンクに身体全体をつり下げて行われ、猛烈な痛みと苦しみをその都度体験します。ダックスさんは何回も『お願いですから死なせてください』と頼みますが、治療はつづけられます。
医療チームはダックスさんの生命を救うために全力を尽くし、この事例は重傷火傷患者治療の成功事例となりました。「痛みと苦しみを訴える患者は、それから逃れたいために、死んだ方がましだとう表現をする場合があるし、医療の目的は可能な限りの生命の維持にあるので、患者の意思に反してでも延命・治療に尽くすのが当然」とする論理の下に、治療はダックスさんの意思に反して行われました。
10年後、ダックスさんは、義眼を入れ、耳も鼻も手術し、頭髪も生え、遠くからでは、10年前のダックスさんとは思えないくらいでした。高校時代のクラスメイトと結婚しギフトパッケイジの会社を経営するかたわら大学法学部に通い、地域の商工会議所の役員として活躍していました。ダックスさんは、次のように語られました。『たしかに、生きてこれて幸せです。結婚もでき、職も与えられ、勉強もできるのはありがたいことです。しかし、今のこの幸せな現実にもかかわらず、10年たった今でも、あのときの自分の心の底からの願いは正しかったし、その願いが聞かれなかったことに深い悲しみと苦しみを覚えるのです』『あのときの願いが聞かれていたら、今の自分は存在していないことは事実です。にもかかわらず、今私が幸せに生きているという事実が、あのときの決定を正当化することにはならないのです。いま私が同じ状況におかれたら、やはり私は同じように、"プリーズ レット ミー ダイ"と叫ぶでしょう。あの治療の過程を二度と繰り返すつもりはありません。私の自己決定権があのとき拒否されたという事実は消えませんし、それを私は一生この身に背負って生きていかなければならないのです』そして、最後『私の治療の過程で、どんなにか多くの人のお世話になったことでしょう。しかし、すべての医師や看護婦が私の支えとなったわけではありません。私にとって一番の支えとなったのは、私のベッドのかたわらにいて献身的に治療に尽くし、語り、なぐさめ、励まし、時に静かに黙って私と時間を共有し、私に共感してくれた看護婦さんたちだったのです。しばしば病院での定められた勤務時間を終えた後までも、私のそばに居続けてくださった看護婦さんたちの支えが、私を活かしつづけたのです』と語られたのです。
この二つは「生きたい」ということと「死なせてください」という真逆のようですが、根っこは同じなのです。このような、[患者のため]という[恩恵の視座]は、現在でも基本的に重要です。ただし、明確にしなければならないのは、なんといっても<患者本人への恩恵>でなければならないと木村利人氏は言っています。そしてさらに、生命についての判断と決断は、自らの生命の主権者である自分自身が責任を負ってなすべきであるとする<自己決定の視座>こそバイオエシックスの基本なのです。
近年、患者と医師・看護師とは、病気の治療というひとつの目標を達成するために、相互に平等の立場で協力し合うパートナーであると言われるようになりました。価値は一つではありません。専門職の価値と患者の価値が一致するとは限りません。パートナーとして、どのように役割をとることが専門職としての責務なのかを探究しつづけなければならないと思います。
1)木村利人著、「いのちを考える~バイオエシックスのすすめ~」、日本評論社、1999。
2)久坂部羊著、「悪医」、朝日新聞出版、2013.