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ある親父の死

 昨年の7月、98歳になる友人の親父が亡くなった。
 彼は、亡くなる前に「こんな一生であった」と題して、気になる一人の孫に28枚にわたる自分史を残して、最期まで辛抱強く、自分の命と闘ってこの世を去った。
 大正生まれの彼は、当然ではあるが、戦争に行き、捕虜になり、無事帰還するが、戦後の苦しい時代を乗り越え、子育てを終え、孫にも恵まれ、ここ5年ほどは、自宅の裏の山寺の参道の清掃を日課とする毎日を送っていた。
 老化とは悔しいもので、彼の意思に反して、足が思うように動かなくなり、文面の中には「これからは静かに余生を送りたいが、体の調子がだんだんと悪くなっていくだろう、でも頑張ってできる限り、努力 努力を重ねて生き抜くつもりだ」と書かれている。
 さらに、「1.健康第一(身体の調子に注意する、食べ物など)。2.正しく明るく将来に希望を持つこと。3.いかなる苦境の時でも正しくしっかり前向きに考えて進むこと、必ず前途が開ける。4.困ったとき、行き詰ったときは必ず両親に相談すること、親友に話すこと。5.正しい生き方を見つけて努力する、前途は明るい。6.人生、楽あり苦ありだ、元気で楽しい一生であることを祈る。7.毎日同じではない、今日一日は二度とない、有効に。」との言葉も贈っている。
 この「こんな一生であった」を贈られた孫は、弔辞で「健康・努力・忍耐」と題して、祖父との思い出を語り、参列者の涙を誘った。
 友人と私は、親父を偲び、彼の一生のほんの一部の思い出に浸り、彼の残した自分史を繰り返し読みながら、当たり前だけれど、大切なこととして受け止めていこうと決心している。