ときわブログTokiwa Blog

教員ブログ

学生の頃

 勉強はそこそこですがとてもまじめだったと思います。

 特に積極的でもなく、提出物は期限を守り、言われたことはやろうと努力していました。

 先生から見て存在感の薄い学生だったかもしれません。

 3歳児の頃に通っていた保育施設では、普段園長先生は保育室に来ないのに、参観日の時だけ保育室に来ていました。お弁当参観場面で、お弁当を食べているときに私が「先生お茶!」と担任に言ったところ、普段なら担任がそのままコップにお茶を入れてくれていたのに、参観日に限って園長が「お茶をどうするの?」と私に言いました。3歳でしたが、いつもお部屋にいない先生がなんでこんなこと言うのだろうと思いました。今思えば「うちの園では言葉の指導をきちんとしています」という見せしめだったなという思いが残ります。

 幼稚園の頃には先生の壁面が大好きで、変わるのを楽しみにしていて先生に「次はいつかわるの?」と聞いたところ笑いながら、そんなにすぐには変えられないのよということを言われた記憶があります。

 小学校の頃には、私が絵具でキリンをピンクに塗ってしまい(色の変化が楽しくて色を混ぜて遊んでいたらピンクになってそれをそのまま塗りました)、先生が筆を取り上げ、そのピンクを水で薄めて雑巾で拭いて消されてしまったということを経験しました。

 中学の頃は荒れた学校にいましたので、しょっちゅう警察が学校に来ていました。音楽室で授業を受けた後、教室に戻ると教室にたばこのにおいが充満していたり、校庭をバイクが走ったりという学校にいました。入学早々の先生の言動で不良の道に走ったと思える子もいました。新卒教員が複数名の生徒の横暴ぶりに涙を流していたときがあり、そのとき「先生、気の毒に・・・」というまなざしで見ていた時に、その先生が涙を流しながら私に弱音を言っておられた記憶があります。

 高校の時には進学校でしたのでひたすら先生が勉強のことを言っていました。担任が「本を読みなさい。私も図書館で本を借りて読んでいる。自分の本ではないので丁寧に扱わなくていいから」と言って教卓にポンと放り投げたのを見ました。

 大学院の頃には「この研究は危険が伴うので、こちらの研究にしなさい」と言ってある子どもと出会わせてくださり、その子どもとの出会いが自分の今の研究の基礎となっていますので、貴重な機会を与えてくださった先生がいます。

 このようにして今までいろいろな先生との出会いがありました。

 先生の記憶は幼くなればなるほど断片的にしか残っていませんが、先生との出会いはいろいろな意味で大きいです。

 今の自分が学生さんにとっていい先生であるだろうか、という不安は常に付きまといます。大学で先生という職業をしていますが、自分のような先生に教わりたい、と思える先生目指して日々精進することを忘れないでおこうと思っています。先生という職業には「もうこれで完璧」というのは無いのですね。