ときわブログTokiwa Blog
教員ブログ
震災20年に思うこと~2011年6月1日のメール
2015年03月02日(月)
阪神・淡路大震災から丸20年がたちました。
今でも当時のことはよく覚えています。
平成7年の正月は数えの43歳。ようやく本厄年が終わり、後厄の1年をどう乗り切ろうかと思案しながら、年末から投宿していたひなびた温泉で迎えました。初詣は吉備国分寺。秀麗な5重の塔がこの時ばかりは穏やかな青空に映えて、この一年が希望に満ちたものに思える幸せな時間を過ごしたことを思い出します。1月14日は土曜日テニス。スクール仲間のNさん母娘が新しくメンバーに加わってにぎやかな一日となりました。いつもは大人ばかりで詰まらなさそうな4歳の息子も、この日は同い年の女の子にラケットの持ち方を得意げに教えています。この時、Nさんのご家族4人の命が3日後に途絶するとは露ほども知らないまま残酷な時を一緒に過ごしていたのです。
成人の日が連休になり、運命の火曜日、1月17日午前5時46分を迎えます。当時の記録に私は、「地下から鳴り響くゴーッという不気味な音で目が覚めた途端、いきなり誰かに掴まれて上下にたたきつけられるような揺れ」と記載しています。垂水に住む友人は、大阪までの通勤のためすでに起きだして洗面所にいました。轟音とともにいきなり、洗濯機が宙に浮いたといいます。老母の面倒を見ながら、およそ文化的とは思えない西代の文化住宅に住んでいた友人は、完全に倒壊した家から下敷きになった母親を引きずり出し、ほうほうの体で蓮池小学校に逃げ込んでいました。「中央市民よりはうまい」と低レベルの争いを自慢していた西市民病院の食堂のチーフは、東灘の自宅が倒壊し3人の家族とともに突然いなくなってしまいました。
正月のうららかさから一転、立ち上る黒煙と毛布を頭からかぶってがれきの中を右往左往する人々、飛び交う怒号、そして、なによりも全面新装なった病院が1か月もたたずに倒壊。職場と仲間、友人と多く患者・・・自分にとって大切なものが一瞬のうちに失くなってしまいました。
この震災はたくさんのことを教えてくれました。災害に直面した人間は、コアな部分をむき出しにします。人間の持つ温かさと残酷さは気を許し合う間柄ほど顕著に表れるものかもしれません。家族も含めた身近な人にもっともコアな部分を見せつけられ、何度となく切れかかる心の糸をつなぎ合わせながら、当時は走っていたように思います。こんな経験を教育に活かそうと考えたのは本学に赴任が決まっ手からでしたが、災害教育は清濁併せ呑む度量を持って当たることが肝要です。ある人にとっては耳をふさぎたくなるような事例もありますが、しかし、基本はいのち、やさしさ、安心と信頼です。うまくGPに乗せることができました。
PCのメール整理をしていて、GPが始まったころのメールをが目に留まりました。関本先生による終末期医療の演習の少し前のものです。
ここから・・・・「長田と震災Ⅰ」の~命について考える「終末医療とホスピス」~
の授業を受けておこなう翌日の振り返りゼミ(ワークショップ)の件です。
「振り返りゼミを行うに当たり、一般目標・行動目標をあげていただけますでしょうか。
この授業についてのねらいを明確にしていただくと助かります。」という問い合わせがありましたので、みなさんと共有するために連絡します。このご意見はもっともだと思います。「長田と震災」が新しい試みで、手探り状態で行ってきたものであることから、どのような内容で進めていくのか結論が出ないままここまできています。特に一回々々の授業について到達目標や行動目標が定められているわけではありません。
本学科は医療や保健に関わる職業を目指しますので、「いのち」」に関してはさらに敏感でなければならないと思います。3年間の全教科を通じて「死の臨床」や「いのち」をテーマにした授業はほとんどありません。今まで歯科衛生士が死と向き合うことが少なかったことも影響しているかもしれませんが、
今後は在宅医療への参画や医療関係者とのディスカッションの中で真剣に死について
考えることを要求される場面に遭遇する機会が増えると思います。「長田と震災」の授業は一貫して「いのち」をテーマにしていますので「いのちを大切にする」という本学科の基本理念とまさに合致しています。試験の結果を気にすることなく、真剣に「いのち」について考える時間があってもいいのではないかと思っています。
今日の朝日新聞に教育についての記事が掲載されていました。
「(小中)学校では何を教えたかではなく、問題解決能力が身に着いたかが重要だ」問題解決能力などそう簡単に身につくものではないので、「問題を探り出し解決しようとする能力」と置き換えてもいいと思います。青臭いかもしれませんが、3年間のどこかで(できれば1年生の時に)こんな
贅沢な授業がほしいと思います。
私が今までがん終末期などの緩和医療の口腔ケアにかかわってきて感じることは、医療者としてこの患者の(肉体的、精神的)苦痛を減らすために自分あるいはチームには何ができるのかということを常に考え問い続けることが大事だということです。真剣に向き合い、自分たちにできることを考えながらそれを患者と共有することが安心感や信頼感をもたらすのではないかと思っています。
「弱った人間は草食動物になる」という言葉があるそうです。弱小動物が、風に乗ったにおいや草のわずかな揺れからライオンの接近を知るように弱った人間も敏感な神経を持つようになるといいます。
緩和医療や在宅医療、障害者医療とはそういう人を対象にしています。
被災地支援に行っても、被災者の気持ちを理解することなど到底できません。自身が16年前に被災した立場であっても、生まれや仕事など背景の異なる立場の人間の心情を簡単に理解することはなかなかできません。ただ、被災地ではそばにいて安心感を与える人間でいたいと私はいつも思っています。歯科が関わることで被災者や高齢者の肺炎予防につながるなら、これをもっと広げて社会に貢献したいと思う気持ちはおそらく誰でもあると思います。このような気持ちをもつことが安心感や信頼感を与えるのではないかと思っています。
かかわる教員によって異なるとは思いますが、長田と震災Ⅰ→Ⅱ→Ⅲと進む中でこのような態度や考えが身についてくれたらと、わたし的には願っています。
今回の授業での明確な目標を掲げることはできませんが、あえて挙げるなら、「死にゆく人に対して人間としてどう向き合うかを真剣に考えることができる」ということになるかと思います。
難しいとは思いますが、自由にアレンジしていただいて結構です。
よろしくお願いいたします。口腔保健学科 足立了平